おたくに関する噂

おたくに関する噂

テレビのニュース・アナが、だしぬけにおたくのことを喋りはじめた――

#6. 今年はちゃんと来年に進めそうです

去年の総括記事で「個別で記事立てたいな〜」みたいなことを言ったことについて一本も書かないままあっという間に2023年も終わりが近付いてきました。ブログというのはTwitterで書ききれないことを書けて便利なんですが、長文というのはどうも身構えてしまうのでなかなか手をつけられません。来年はもう少し何か書けるといいですね。

とりあえず去年の方式を踏襲し、いくつかのトピックごとに振り返って行くことにします。

院試合格

やはり今年一番大きかったのは院試合格でしょう。詳しくは合格報告を書いたのでそっちを見て欲しいんですが、ここでは書き漏らした話とか今改めて思うことなんかを書いていこうと思います。

まず書いておかなければならないこととして、同じ慶應から*1、同じようにディシプリンを変更して外部院進を目指した友人の存在があります。彼がいなければ私は心が折れていたかもしれません。同じ授業を取っていたので、授業の前後に他愛もない話をしたり、院での希望を互いに語ったりしており、これが心の支えになっていました。私と彼では志望大学院も研究分野も大きく違うものの、外部院進仲間がいるというだけでとても心強かったです。お互い受かって本当に良かった。改めてありがとう。

また、無事に合格した後に「慶應を離れる」という事実を急に意識し始めました。院試対策とかやってる時はいまいちピンときてなかったんですよね。なんなら普通部3年塾高3年大学4年と人生の半分弱を義塾に捧げてきた身としては未だに自分が慶應以外に行くということの実感が湧きません。この10年間もなんだかんだあっという間だったな。

強迫性障害

今年一年は強迫症状に悩まされた一年だったとも言えるかもしれません。今ではだいぶマシになっていますが、特に受験期や合格発表前は荒唐無稽なものも含めてあらゆる不安に駆られており、脳のリソースの大半が費やされていました。周りに無意味な確認行動を取ったりもして、本当に色々な方に迷惑をかけたと思います。巻き込んでしまった方々、本当に申し訳ございません。

とにかくあらゆることが不安でしょうがなく、また確認しようがないことについて想像でこんなことがあったんじゃないかと後付けで不安を「創造する」という悪癖があり、それにずっと振り回されていました。院試の時も書類に不備がないか大学に問い合わせを入れ、「大丈夫ですから」と宥められ、本番でも面接が終わった後にあるはずのないさまざまなことを想像して勝手に不安になりメンタルを削り続けていました。妄想力豊か過ぎるな俺。結局これは合格発表の数字を見てようやく無意味だったと気付くことができました。

ただ院試に受かった後も症状が和らぐかと思ったら一向にその気配はなく、外出中急に不安や恐怖が押し寄せてきて、確認する術もなく発狂して*2行きつけの精神科にその場で電話して駆け込んだこともあります。

考え方をどうにか転換する練習をした結果、今は症状がかなり落ち着いているので、ゆっくりと減薬をしています。最終的には薬無しで生活できるようになるといいな。エビリファイ飲んでると車運転できないし。

語学

語学のトレーニングというのは苦しく、時間がかかるものです。私は今までそういったところから目を逸らしていた面があります。結局語学というのはゆっくりと積み上げていくしかないのだ、ということに気付いたのは12月に入ってからでした。それはそうと語学苦しいから誰か助けて~。

チュルク諸語

主にトルコ語アゼルバイジャン語をやっています…が最近アゼルバイジャン語に触れられておらずかなり危機感を感じています。言語の研究にあたっては必ずしも対象言語の高い運用能力が必要とされるわけではありませんが、私の場合はそうもいかないので精進しようと思います。これは全言語に言えることですが、積み上げるものの典型である語彙が本当に足りないのでどうにかしたいですね。トルコ語とかまともな単語帳ないんだけどどうしよう。

ペルシア語

院試が終わった後、院の指導教官(になる予定の方)の勧めでペルシア語を再開しました。「ささっと触れておいてね〜」という程度の話だったんですが、気付いたらペルシア語に相当入れ込んでおり、「ペルシア語四年間」と名高いペルシア語四週間を始めてしまいました。ここ最近飲みに行った日以外はだいたい開けていて良い感じです。まあこの数日は飲み会続きで全く開けていないんですけどね。あーあ。

ペルシア語四週間を完走できたらブログにまとめられるといいなと思ってます。あとは「ペルシア語常用6000語」を大学図書館で借りてゆっくり覚え始めています。

今のところ言えることはペルシア語四週間は本当に良い本だということです。冒頭で述べたようなことに気づくことができたのも、この本とフォロワーさんの助言のおかげです。

ロシア語

久々にロシア語を読んだらめちゃくちゃ知識が抜け落ちてて危機感を覚えました。慶應経済式・スパルタ講読で鍛えられた力も使わないとなまってしまいます。改めて文法を復習し、これまたゆっくり、きちんと自分のモノにしていかなければならないと強く思います。今年はロシア語からかなり逃げていたので、来年はちゃんと向き合います。

また単語力の無さも大きな課題でしょう。2200語レヴェルの単語帳までは市販されていますが、それ以降だと白水社の「パスポート初級露和辞典」を単語帳にするとよく耳にします。実際あれどうやってやるんですかね?経験者の方教えてください。

それ以外

他にも今年はウルドゥー語セルビア語に手を伸ばしては三日坊主で終わる…ということを繰り返していました。最初に言った通り語学は時間をかけてゆっくり積み上げるしかないのですが、かと言って別に自分が目指すものはポリグロットではなく、研究と自分の関心の追求のための能力の獲得なので、そのためには一日に纏まった時間を一言語ごとに割く必要性が出てきてしまい、必然的に並行でやれる言語は限られてしまいます。これらの言語はほとんど趣味みたいなものだったので、優先順位が下がってしまうのは致し方ない…と言い訳をしておきます。ウルドゥー語は来年リベンジしたいですね。

あと、ここまで一切言及しないのもアレだと思うので一応英語にも言及しておきます。今年は院試のために受けたTOEICで初めて自分の客観的なレベルを知ることができました。他の言語でもこういう検定試験が行われるといいんだよね。だってさぁ、客観的なレベルを知らないまま一人の言語学習者とかいっぱいいてかわいそうじゃん!

それはそうと英語のトレーニングも怠らないようにしたいです。色々必要とはいえ「語学力」が一番求められるのは間違いなく英語なので…

その他

他にやってたこと、マジでブルーアーカイブしか思い出せん。ブルアカは自分にとって今年を象徴するコンテンツでした。院試の合格発表前日にもブルアカらいぶ!を見ている間は不安を抑え込むことができましたし、これもまた自分にとって大きな支えとなっていたのだと思います。

総括の総括

今年はなんだかんだで希望が見える一年だったかなと思います。院試には受かり、今年散々悩まされた強迫性障害寛解する道が見え、必要な語学の勉強についてもようやくやることが見えてきました。

来年以降の院での研究生活がどうなるかはわかりませんが、間違いなく過酷なものになるので、潰れないよう入学前のうちに語学のトレーニングをしっかりやって基礎体力をつけることを当面の目標に据えたいと思っています。というかまず目の前の卒論ですね。頑張ります。

今年も当アカウントをご愛顧いただきありがとうございました。皆様よいお年を。

*1:おまけに彼は私と同じく慶應義塾普通部出身でした

*2:確認行為が強迫性障害の本丸なので、間違いなくしない方がいいのですが、当時は確認できないと発狂していました

#5. 院試に合格しました

去る7月24日、東京外国語大学総合国際学研究科世界言語社会専攻言語文化コースの推薦入試に合格しました。もう一ヶ月半以上前ですね。

 

私が受験した時情報のなさに苦しんだので、こんなのでも院試に受かったというのをブログに残しておくことで後輩*1の不安を少しでも和らげられたらいいな~と思っています。これってどこまで書いていいんだろう。

まあ別に一般化できるような話でもないので、そういう読み物くらいの感覚で読んでもらえればと思います。あんまり参考にならないです。

 

プロフィール

  • 慶應義塾大学経済学部B4(院で専門を変更、学部では他学部のゼミで地域研究をやっています)
  • 中学からの内部進学なので大学受験は未経験
  • GPAは2台前半*2
  • 強迫性障害*3

 

受験校

東京外国語大学総合国際学研究科

一校しか受けませんでした。最終的に妥協してまで院行く意味ないなって思ってほぼ単願になってました。落ちてたら併願校探し再開してたかもしれませんが、多分秋まで落ちたら休学して就活をしているような気がします。まあこの話親にしたら怒鳴られましたが…(当たり前)

まあ受験を少し検討していた院の中でもここの推薦が一番早かったので併願していたとしてもここしか出願せずに終わっていましたね。

 

試験準備

院進を考え始めたのはB3の4月くらいで、まあかなり早い方だと思います。チュルク諸語への関心も当時からあり、院でチュルク諸語をやろうというのはこの時点で決めていました。

B3の8月~9月には東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所で開催された北アゼルバイジャン語の言語研修に参加しました。ご存知の通りアゼルバイジャン語はチュルク諸語のひとつで、私がチュルク諸語に関心を持つきっかけとなった言語です。元はといえばこのブログも研修で身に付けた*4アゼルバイジャン語を忘れないために、という趣旨で始めたのでした。まあ最初の記事以外全部日本語なんですが...

この研修での経験が提出した研究テーマのとっかかりになりましたし、何より楽しかった。最高の夏でした。

しかし英語をちょろっとやったり言語学の入門書を読んだりしていただけであまり勉強しないまま半年以上経過し、気付いたら春休みになっていました。

B3 1月~3月

院進についてゼミの教授や院進した先輩に相談したりしました。まあ後は大学図書館に通って一般の勉強をしていました。結局一般を受ける前に受かってしまったので特に参考にならないと思いますが、英語の対策が苦しかったです。出題形式が大学院あるあるの和訳ではなく英語の長文+問題も英語で解答という形式だったのに加え、文章がほぼ黒塗りで大学に出向かないと見れなかったので本当に何をすればいいのかわからず一般的な院試英語対策の参考書(これとかこれとかこれ)や英作文の参考書で勉強していましたが、これが正しかったのかは結局一般を受けていないのでわかりません。

このあたりで自分が第一志望としていた東京外国語大学大学院の推薦入試の出願要件*5*6を満たしていることに気付き、まあ一回チャンス増えるし面接練習にもなるし受けない理由がないよな、と思い出願することを決めました。英断すぎる。

3月には研究室訪問に行きました。まだ研究テーマが定まっていないからと躊躇していたんですが、行きたいと少しでも思ったら研究室訪問しましょう。私の場合院試に直結する情報は得られませんでしたが、少なくとも研究室に関する情報は得ることができます。

あと、実はこの時もう一つ進学を検討していた大学院があったんですが、そこでは「カリキュラムがあなたに合っていないのでうちの院に進学することは勧めない」と直々に言われました。そこの教授の研究テーマ自体はかなり合っていたと感じていたのですが、このようなこともあるのでとりあえず話を聞くことはとても重要です。研究室だけじゃなくて大学院自体のカリキュラムも大事だということに私はここで気付きました。

B4 4月~5月

このあたりから強迫症状が酷くなり、勉強に大きな支障が出ていたので精神科に行き始め、強迫性障害の診断が付きました。あと周りがみんな進路決めてたんで本当に焦りました。

研究計画書をこのあたりから書き始めましたが、そもそもテーマが定まっておらず数回白紙に戻しました。テーマが定まりちゃんとした意味で「書き始めた」のは5月下旬あたりですね。なんとか地域研究の卒論の延長線上に置けるようなテーマが見つかったときは天啓かと思いました。このあたりではがむしゃらに関連する文献を図書館や図書館の契約するデータベースで探して読むの繰り返しでした。自分の大学を利用し尽くしましょう。

推薦入試の募集要項に研究計画書に沿った言語若しくは英語の検定試験*7のスコアを出せという旨の記述があったので、間に合うギリギリでTOEICを受けました。特にボーダーが示されているわけではないとはいえ、初受験な上にラストチャンスでめちゃくちゃ怖かったです。無用な不安に苦しむ羽目になり、時間の余裕もなくなってしまうので院試でもし必要なら今すぐ対策してとっとと受けましょう。

結果は850点でした。予想よりだいぶ良かったので自慢しようと思ってツイートしたら大学の同期が900点を取っており、自分のしょうもなさに悲しくなりました。まあこれだけあれば院試で不利になることはないんじゃないかと思います。

B4 6月

推薦入試の出願は6月の中旬だったので、研究計画書をなんとか書き上げ、ゼミの教授に推薦状をお願いしました。研究計画書の書き方なんかはいい本やいいサイトがいっぱいあるのでそっちを見てください。

外大が公開しているこれなんかがとても参考になると思います。研究計画書について直接書いたものではありませんが、このサイトの上にある「修士論文卒業論文を書く人のために」も大変参考になりました。

出願してからは一般の勉強に戻りましたが、受験票が届くまではちゃんと出願できてるか怖すぎてあまり集中できませんでした。

B4 7月

8日には一般入試受験者向けの院試説明会があり、研究計画を発表してアドバイスを貰ったり、また院試について質問する機会を得ることができました。この時は「この"終わり"の研究計画を人前で発表するのか…」と怯えきっていましたが、有益なアドバイスも貰えましたし、自分の研究計画を客観視することにも繋がったので行ってよかったです。下手に「自分はできないから」「恥をかくのではないか」みたいなことは思わずに、できなくてもいいから見せつけにいくという精神が大事です。

10日に推薦入試の書類選考の合格発表がありました。専攻が違う外部生でGPAも終わっていて研究計画書もひどかったのでまあここで落ちるだろと思っていたんですが何故か通っていました。

普通に書類落ちするものだと思ってたので二次の面接対策を一切しておらず、ここから急ぎで面接の対策に取り掛かりました。とはいえ面接対策で特に何をすればいいのかわからなかったので知り合いの院生に面接でどんなこと聞かれたかを聞いたり先行研究を読み直したりしていました。

 

試験当日

何聞かれたかを書いてもいいのかわからないので具体的には書きません。慶應のカスみたいな成績表についてもコメントされましたが、「ロシア語頑張ってるね~」と言われただけで専門科目や数学が終わり散らかしてることについては特に触れられませんでした。院の研究に関連してる科目がしっかり取れていれば良いということなのかもしれません。

根本を揺るがすような質問をされてしどろもどろになり、今回の面接で落ちたら一般で筆記が通ってもまた面接で落ちるんじゃないかと思ってしまい、かなり気が滅入りました。

さらに、試験が終わって数時間後くらいから「自分で気付いていないだけで面接でなにか無礼なことをやらかしたのではないか」ということを考え始め、ひたすら精神が擦り減りました。大学に確認の電話をかけなかった俺偉い。

(追記):Twitterの下書きを眺めてて思い出しましたが、面接には時計を持っていったほうがいいです。

 

合格発表前日

私はブルーアーカイブが大好きなので、前日はブルアカらいぶを見ていました。水着ウイの発表の時には流石に声出ちゃった。

丸メガネをかけると尚良いと思います。

これは水着ウイの丸メガネ差分

 

合格発表当日

当日の朝は普通に落ちたと思っていたのでTwitterで「落ちてるんだろ?早く殺してくれ」みたいなツイートを繰り返していました。院試当日の項にも書きましたが、「ここで面接落ちしたら一般でも面接落ちして終わりだ」と考えており、落ちたら破滅だと思っていたために精神状態は極めて悪く、吐き気が止まりませんでした。昨日はブルアカらいぶをあんなに楽しそうに見ていたのに…

 

 

そしていよいよ運命の時、午前10時。

私の番号はありました。

そしてTwitterの下書きにあったはつゆきさくらのキャプは無事ボツになりました*8

 

かくして私の院試は終わりました。とにかく自分がやれることを最大限やったのが功を奏したのかなと思います。少し早く院試が終わったことを有効活用しようと思っていたんですが、結局ダラダラと過ごしたまま一般入試の時期が近づいてきてしまいました。分野が学部と違いますし、語学力も4年間地域言語を専攻してきた外大生のように高いわけではないですが、どうにか残り少ない期間で差を縮められるように勉学に励みたいと思います。

*1:今後このようなことを試みる人がいるのかはわかりません

*2:中の下くらいだと思う

*3:受験期に診断がつきました

*4:実はB2の時にかじっていたのは内緒

*5:出願要件に「内部生であること」が書かれていませんでした。詳しい要件は大学のページを見てください

*6:細かい話をすれば、当時見ていたのは前年の募集要項だったので、今考えてみるとそもそも同じ形式の推薦入試があるかどうかはわからなかったのですが…

*7:特に指定はなく、TOEICTOEFL・IELTSが例として挙げられていました

*8:番号ないよみたいなやつです

#4. おれは2022年に取り残されている

最初は週一くらいで更新しようかな~って思ってたのに気付いたら三ヶ月くらい経ってました。妙ですね。

当記事は2022年の振り返りを趣旨としているわけですが、月ごとに振り返っても「n月 この月に特にブログに書くようなことはありませんでした照」みたいな虚無の項目が量産されそうなので大きめの出来事をいくつかピックアップする感じで振り返って行こうと思います。まず振り返り記事なら2022年中に出すのが筋というものですが、まあ1月なんて気分はまだ2022年みたいなものですからね。

 

慶應義塾大学経済学部 専門外国書講読a・b(露)

「出来事」というか取った授業なんですが、B3春学期はこの授業の存在があまりにも大きかったです。講読形式の授業を取ったのが初めてだったというのもあるんですが、まあとにかく重かった。一週間の間ずっとこの授業のことを考えていたといっても過言ではありません。

この授業は文字通りロシア語の講読の授業だったんですが、a・bとついてることからも分かる通り二コマ連続の授業だったんですよね。そして受講者は二人*1。当然待っているのは毎週の膨大な量の準備です。慶應義塾大学経済学部のカリキュラムではロシア語は二年次に履修できる第三外国語としてのみの開講で、それを前提とした平易な文章から始まる…と思いきや、初日に渡されたのはИзвестия*2。そして教授は「この授業を取れば、辞書さえあればあらゆる文章が読めるようになる」と言いました。

最初は構文も全く取れず、単語も全く分からず、格変化もうろ覚えだったため、研究社の露和辞典を一語ごとに引き、辞書の最初に載っている格変化表を見て、ノートに大量のメモをしてなんとか参加していました。そんなことをしているうちに段々と辞書を引く回数は減り、格変化表を再確認する回数も減り、春学期が終わる頃にはノートに格をいちいちメモすることもなくなり、構文も取りやすくなっていたことに気付きました。教授のあの言葉に嘘はなかったのです。

慶應義塾大学でロシア語漬けになりたい人はこの授業が本当におすすめです。秋学期に他学部の講読の授業も取っていますが、この授業はその中でもかなり抜きん出てロシア語能力の向上に資するものであると思います。

授業をおすすめする以上成績評価についても述べますが、私は無事Sを貰うことができました。死ぬほど間違えて何度も何度も教授に指摘され、準備が終わっていなかったこともあった上でのこの評価なので、おそらくそんなに厳しい評価はつけていないと思われます来年度は秋学期に開講されるみたいなことを教授が言っていた気がするので、良ければ是非。俺もまた取ろうかな。

2023/3/10追記:

シラバス見たら普通に春開講になってました。

 

稀星学園文化祭

お金がなかったので当初は高尾校だけ行こうと思ってたんですが、結局本校も行きました。ライブレポみたいなの一回は書いてみたいんですが、そういうの書いてる方々のブログ見るとみんな私よりもコンテンツに対する理解が深くていい文章を書いているので、どうしても二の足を踏んでしまいます。

高尾校のライブが有楽町で本校のライブが昭島だったのはどういうことだったんですかね…?思い出せる範囲でそれぞれの簡単な感想を一言ずつ書いていきます。

高尾校

ニゾンノローグ、配信開始された時はあんまり刺さらなかったんですがここで聴いて本当に好きな曲になりました。私は2部だけだったので、おそらく高尾校の文化祭で披露されるであろう新曲が1部のセトリに両方あったのを見てちょっと警戒してたんですが、ちゃんと2部でもやってくれて良かったです。ライブで初披露のIdeal/Idolも良かったですね。曲も良いし歌詞も良い。

しかしやはりなんといっても一番楽しみだったのは「ちぐはぐメロディ」でした。ライブでも無事萌えることができました。

~~~!! 可愛すぎる!! 5億点よ!!!

本校

Sin Cityも配信の時はそこまで刺さらなかったんですが、ライブで聴いた後本当に好きになって(ちょろい)鬼リピしてました。

しかしやはり一番印象に残っているのは美久龍・香澄のせーので跳べって言ってんの!ですね。高尾校と違ってジャン禁の箱ではなかったので思う存分跳びました。ありがとう。

 

旅行

年一くらいで中学からの友人と旅行に行くのが恒例になってきました。今年はトヨタレンタカーの「片道GO!」で伊勢神宮熊野古道紀伊勝浦十津川村などを巡って大阪まで向かいました。

旅行の写真をインポートするのが面倒なので当時の画像ツイートを貼ってお茶を濁しておきます。

 

言語研修(北アゼルバイジャン語)

2022年で最も重要な出来事はなにか?と問われたら間違いなくこの言語研修であったと答えるでしょう。この言語研修についてはそのうち別の記事を立てて書こうと思いますが、この記事で言及しないわけにもいかないので少し言及しようと思います。当ブログの一本目の記事はアゼルバイジャン語で書かれており、この研修で身につけたアゼルバイジャン語を忘れないために外国語のブログを書こう、というのがそもそもの当ブログの目的のひとつだったわけですから、この研修が当ブログ開設のきっかけといっても過言ではないでしょう。

東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所で三週間以上、合計85時間もの時間をアゼルバイジャン語の学習に捧げたこの夏を、私は生涯忘れることはないでしょう。

そしてこの研修を通して、勿論研修の前から志していた進路ではありましたが、進路への思いを新たにすることとなり、その意味でも私の人生に大きな影響を及ぼした研修だったと言えるのかもしれません。

修了証 一生の宝です

 

ブルーアーカイブをインストール

この中だと確実に一番字面がしょうもないし実際この中で一番しょうもない出来事ではあるんですが、私が現在進行形でブルーアーカイブにまあまあハマっているので書きます。

って思ったけど別の記事立てて書こうと思ったのでやめました。代わりにサムネ用の萌え萌え画像を貼っておきます。

ユウカ、俺と結婚しよう

 

リステ4th

流石に昼の部夜の部両方行きました。昼の部はS席抽選落ちてAだったんですがだいぶ前のほうの席で良かったです。

四季を遊んで始まり、四季を遊んで終わったライブでしたね。私たち、四季を遊ぶんです!!が本当に好きだったんですが、全員曲という性質上なかなか披露はされず、4thの最初にイントロが流れたとき、めちゃくちゃ高まったのはもちろんですがそれと共にナンバリングの大きなライブであることを実感しました。夜の部終わりのほうは正直それどころではなかったですが…

舞菜珊瑚の恋のフュージョン(最萌ソング)など言及したい曲は多くありますが、やはり一番印象的だったのは最後のアイノウ・アイノウとRainbow FlowerSでしょう。本当に(オタクにありがちな誇張表現ではなく)泣いてしまい、ライブ終わりまで泣きっぱなしでした。嶺内ともみさん、今までありがとう。夜の部終わりに四季を遊ぶどころではなかったというのもまあそういうことです。

 

終わりに

本当にまとまりのない文で申し訳ないです。ここで言及しなかったことも含め、なんだかんだで色々あった年でした。もう2023年になってしまいましたが、今年も楽しい一年になるといいですね。とりあえず私は今年の秋院試に合格することを目標にしようと思います。1年後に「冬院試に受かる」と書かないように頑張ります…

 

終わりだよ~

*1:最初は三人いましたが、一人は途中で脱落していなくなってしまいました

*2:ロシアの新聞。かつてはソ連政府の公式紙でした

#2. インターネットに何かを発信することに対する恐怖

今回は日本語の記事です。基本的にTwitterで私をフォローしている人からしか見られていないこのブログで、フォロワーの中でも解する人が数人しかいないアゼルバイジャン語で記事を毎回書き続けても仕方がないですし、そもそも複雑な思考を克明に記すことが出来る程の領域に達してもいません。というわけで大部分の記事は日本語で書くことになるのかなと思います。

前置きという名の自分語り

嘗ての自分は所謂「ツイ廃」と呼ばれる存在であったように思う。高校生だった私は、毎日毎日飽きもせずインターネットの海に一日当たり数十から数百のツイートを放流し続けていた。今となっては何をそんなにツイートすることがあったのか皆目見当もつかないが、当時のスクリーンショットの断片を見るに毎日毎日同じような内輪ネタを擦り、毎日毎日同じようなやり取りをしていたようだ。つまりは「無」であり、何も発信していないのと変わりがない。今でも場が移っただけで似たようなことは全くやめられていないのだが、それにしても代わり映えがなさすぎて我ながら閉口してしまった。当時は不思議とそれなりのフォロワーがおり、また何をツイートしても反応が来たが、果たして当時のフォロワーが何故私と関わりたいと思ったのだろうか。未だに分からない。ただまあこの時の自分は「無」でありながらも満たされていたことだけは確かである。

翻って今はどうだろうか。一日数百のツイートは大幅に減った。日によっては全くツイートをしないこともあるくらいだ。ツイートする内容も、何かしらの行動の後の報告と日常生活の断片が殆どだ。とはいえTwitterを開く時間が減ったわけではなく、代わりにただ無為にタイムラインを眺めたり、卑猥な絵画に「いいね」をつけたりすることに勤しむようになった。相変わらず、私はインターネットで何も発信していない。

矛盾

Ancaq 2019-cu ildən bəri bloq yazmamışam, ona görə bloqda nə yazacağım bilmirəm.

和訳:しかし、2019年以降私はブログを書いていないので、ブログに何を書けば良いのかがわかりません。(俺のアゼルバイジャン語間違ってるかも)

ところで、前の記事(#1.)でも上のように書いたが、私は三年前にブログを書いていたことがある。私が日々の生活で感じた疑問やインターネットについて、露骨にウケを狙おうとあまり使い所が上手くないインターネットスラングを交えつつ薄い分析ごっこをして悦に入っているのが透けて見える稚拙なものであり、今読んでみると結構キツいが、確かに私はこの間「何かを発信していた」のだ。私のインターネット活動における稀有な例外である。

しかし、過去形であることからもわかる通りこのブログは一年ちょっとでやめてしまった。やめてしまったことの直接の原因は書くことがなくなり飽きてしまったことなのだが、この後が問題である。ブログを書かなくなってから数ヶ月後、私はもう書かなくなっていたブログを見返して、そこに綴られた浅い分析や寒いスラングを直視し、そしてこう感じた。

「こいつ馬鹿だ」と。そのままブログは非公開になった。

私はこれ以降インターネットに自らの思考や分析を放流することを自覚的に忌避するようになった。最初に滔々と語ったように、それまでもあまり思考を表に出していなかったわけだが、これに関してはただ自分の愚かさ故に表に出すような思考自体が無かったという方が正しいだろう。

私は浅い思考を発信することで、他人から愚物であると見做されることを恐れたのだ。ブログを読み返した自分がそう感じたように。知性を至上とする価値観を持っていた私からすると、愚かだと思われることは非常に耐え難いことだった。自分の愚かさは当時痛いほど理解していたつもりではあったが、それを受け入れることができる賢さすら持ち合わせていない程の愚物だったようである。

その結果、私のツイート群は先述のように何かの行動の報告と日常生活の断片が殆どになった。

「なにかの感想を申し訳程度にツイートする時は思考を感じ取られないようになるべく簡単に。ズレたこと言ってたら嫌だし。俺と同じこと考えてる人も念のため探しておこう。でも俺の拗らせた考えをツイートしたらちょっとウケるかな。思ったことがあったら鍵垢で言おう…」

しかしながら、ここで大きな矛盾が生じる。自らの愚かさを隠蔽するために何も発信しないのと、単純に発信する思考がないために何も発信しないのは発信する側からしたら大きな違いかもしれないが、それを観察する側からは判断することが不可能だし、何も考えていないのと同じである。寧ろ、「ズレたことを言ってたら嫌」故のあまりに簡単な感想ツイートなんかは私の愚鈍さをこれまでになく顕在化させるものだろう。

私はこの事実を前に大いに苦悩した。どうすれば俺はズレてる馬鹿だと思われずに済むんだろう。

歪んだ自尊心との戦い

長い間苦悩した結果、私は漸く結論に辿り着いた。結局は自分の愚かさと向き合いつつ思考をある程度表に出すしか無い。何も考えていない馬鹿であるよりも考える馬鹿であるほうが好ましい。それは容易に導き出せる結論でありながらも、私が現実を直視せず逃げていたために全く見えていなかったことでもあった。

そこでブログである。前の記事では語学学習のために外国語でブログを書いて運用能力の向上を図りたい、といった旨のことを書いたが、それは「外国語でブログを書く」ことの理由にはなっても、「日本語でも記事を書く」という点が意味不明だ。

つまり、もう一つの理由があるわけで、ここまでの長文を辛抱強く読んで頂いた皆様には自明のことだと思うが、それは「具体的な思考を表に出す」ことである。Twitterでもなるべく心がけたいとは考えているが、より具体的な思考を表現するために140文字という制限のないブログを始めることにしたのだ。またこれは過去のブログとの和解と思考の隠蔽との決別の象徴でもある。今後このブログには私の愚かで浅い言説が細々と投稿されていくと思うので、「またあの愚物が何か喚いてるぞ」くらいの気持ちでご笑覧頂ければ幸いである。

 

 

ということで、なんでブログ始めたの?って話でした。

 

終わりだよ~

 

#1. Bloq yazmağa başladım

Salam! Bu gündən Azərbaycan dilində bloq yazım. Ancaq 2019-cu ildən bəri bloq yazmamışam, ona görə bloqda nə yazacağım bilmirəm. Nədən başlayacağam...?

HAQQIMDA

Hər şeydən əvvəl mənim haqqımda danışacağam, çünki fikirləşirəm ki, bu bloqu oxuyanlar mənim barəmdə heç nəyi bilmir.

Adım Yutorisedir(yap. ゆとりせ), təbii ki, bu, əsl adım deyil. Mən yaponam və Keio Universitetinin iqtisadiyyat fakültəsində oxuyan tələbəyəm, amma əslində dilçilik ilə maraqlanıram, iqtisadiyyat yox. Gələcəkdə türk dillərini tədqiq edən dilçi olmaq istəyirəm, fəqət bu çətin olduğunu bilirəm. Ana dilim yapon dilidir və İngilis dili də bir az bilirəm. Universitetdə üçüncü xarici dil olaraq Rus dilini oxudum, amma yaxşı danışa bilmirəm(İkinci xarici dil Çin dili idi, ancaq çox oxumadım). Üstəlik, Azərbaycan dili, Türk dili, Tatar dili və Fars dilini oxuyuram. 

Anadan olduğumdan bəri mən Tokioda yaşayıram. Bu şəhər dünyada ən böyük şəhər olduğunu bilirsiniz? Böyük Tokionun əhalisinin sayı 37 milyondur, və ÜDM Tokioda 2 trilyon ABŞ dollarıdır. Tokionun tarixi uzun deyil, amma orada çox maraqlı və həyəcana gətirən şey var. Doğma şəhərim haqqında başqa vaxtda danışım... 

Nəhayət, hobbilərim haqqında yazasıyam. Təbii ki, dil öyrənməsi də hobbimdir, amma bu barədə növbəti fəsildə danışacağam, ona görə indi başqa hobbilərim haqqında danışım. Mən bəzən animelərə baxıram. Ən sevdiyim iki anime "Kill la Kill" və "Re:Stage! Dream Days"dir. Vikipediyada "Kill la Kill" haqqında yazılan məqalə var, maraqlansanız oxuyun. Mən də bloqumda bu iki anime barəsində bir şey yazmaq istəyirəm. Yaxınlarda baxdığım ən maraqlı anime "Cyberpunk: Edgerunners"dir. Buna Netflixdə baxa bilirik, ona görə kaş buna baxasınız. Kompüter oyunları da önəmli hobbilərimdən biridir. Müxtəlif oyunlar oynayıram, və 2D fəaliyyat oyunları və roman oyunları bəyənirəm. Təzliklə oyunlar haqqında məqalə də yazasıyam. Səyahət, coğrafiya və velosiped də sevirəm.

NİYƏ AZƏRBAYCAN DİLİNDƏ BLOQ YAZIRAM?

rkcə öyrənən dostumun bloqundakı Türk dilində yazılan məqaləsini oxuduğum Azərbaycan dilində bloq yazmağımın səbəbidir. Bu ilin yayında Tokio Xarici Dillər Universitetində edilmiş intensiv dil kursunda Azərbaycan dilini oxudum. Bunu unutmaq istəmirəm və davam etdirmək istəyirəm. Dili öyrənmək üçün yazmaq vacib olduğunu düşündüm, ona görə bloq yazmaq yaxşı fikir idi. 

Fəqət bu məqalə oxuyanlar niyə Azərbaycan dilini öyrəndiyim soruşmaq istəyir, elə deyilmi? Maraqlanmasanız bağışlayın. Yazdığım kimi, dil öyrənməsi hobbimdir. Xüsusilə türk dilləri mənim üçün çox maraqlıdır. Türk dilləri arasında Azərbaycan dili mənim üçün xüsusi dildir, çünki mən Azərbaycan dilindən türk dillərinin əyləncəsini bilə bildim. Təzliklə bu barədə məqalə yazmaq istəyirəm.

BLOQUMDA NƏ YAZMAQ İSTƏYİRƏM?

Bloqum üçün hərəkətsiz planım yoxdur, ancaq yazmaq istədiyim çox mövzu var. Hobbim, səyahət, kitablar, dillər, həyatım... Hər şey haqqında yazacağam. Sadəcə Azərbaycan dilində yox, ana dilimdə, başqa sözlə yapon dilində də məqalə yazasıyam. 

Bloqumun sərlövhəsi barəsində yazıb bu məqaləni bitirim. Bu, bəyəndiyim qısa roman olan "おれに関する噂(Mənim haqqımda şayiələr)"dən adlandırıldı. 

Azərbaycancam hələ də yaxşı deyil, ona görə bu məqalədə çox səhv olduğunu fikirləşirəm. Pis mətnim oxuduğunuz üçün təşəkkür edirəm.

YAPONLAR ÜÇÜN

コピペして翻訳にかければ大意は掴めると思います。次の更新がいつになるかは分かりませんが、普通に日本語で記事を書くこともあるんじゃないでしょうか。多分。